
システムエンジニア
三菱UFJインフォメーションテクノロジー株式会社 米州システム部
白木 見佳さん
笹川平和財団は、国際社会で日本の果たす役割を考え、国際社会に貢献するために世界中のさまざまな機関と協力しながら、民間ならではの創造性のある解決策を提案・推進する役割を果たすことを目的として掲げています。
財団の事業内容は大きく「自主事業」と「助成事業」の2つがありますが、「自主事業」は研究員が自ら事業を立ち上げて運営するものです。「助成事業」はNGOなどの他団体が企画・実施するものを審査して、助成金の支援などをします。職員は自身の専門性などを生かした自主事業の開発・運営を目指しますが、社会的に有益な事業に対する助成事業にも絶えず目を向けています。
私が財団に入った直後は、外務省の専門調査員として働いていた経験を生かして、「日米交流事業」の運営などに携わりました。具体的には、米国から元議員を招いて講演会をしてもらったり、日本の国会議員や経済同友会メンバーとの意見交換会や学生との対話、専門家との会合をセッティングするなどしました。面会の設定や事前準備は大変でしたが、全国紙にも取り上げられるなどして注目を集め、日米関係の強化に寄与できたと感じています。
私は10代の頃から人権問題に興味があり、大学時代は外交官や国際機関の職員などを目指す人をサポートする「外交・国際公務指導室」の代表を務めました。そして大学卒業後は人権の研究で世界的に名高いエセックス大学に留学し、法学の博士号を取得。人権保護を目的とした武力介入の合法性について博士論文を執筆しました。 その後は"より現場に近い場所"を目指して、外務省の非常勤職員である国際人権・人道法調査員や、国際連合日本政府代表部の専門調査員になるなどしました。国連での仕事はハードでしたが、交渉ごとは性格的に向いていたので面白さも感じていました。しかし任期は2年間。次の就職先をどうするか考えていた頃、友人に誘われてボストンで開かれたキャリアフォーラムに出かけて、笹川平和財団を知りました。「とても面白いことをしているな」というのが第一印象。また自分のイニシアチブで社会問題を発見し、それを解決するための事業を自らつくり、実施することができることは大きなやりがいになりそうだと考え、日本に帰って就職することを決意しました。
これまで、様々な事業をサポートして事業のノウハウを学びながら、私の最も関心がある人権やジェンダー平等に関する自主事業の開発を行ってきました。その準備のために、海外に現地調査に赴いたり、情報を集めたり、資料を作成したりしました。事業を実施するためには、上層部も出席する審議会でプレゼンしてGOサインを出してもらわなければなりません。事業が社会課題を解決するのに寄与するかどうかはもちろんのこと、かかる資金や人手に関しても審議されますから、準備にはかなりの労力と時間を費やします。そして事業が採択されたら、事業形成(関係者へのヒアリング、勉強会の実施など)を行い、進行管理(講演会やセミナーなどに有識者を招聘したり、モニタリングなど)をします。そして最後に報告や評価をして、ひとつの事業を完了させます。
先輩研究員たちの助けもあり、今年1月に開かれた審議会で、男性の意識や生活スタイルの変革に着目したジェンダー平等プロジェクトを事業化することが認められました。今は他に複数の事業開発や調査研究を続けながら、忙しい日々を送っています。
社会課題を解決するためには、多くの人の意識の変革と社会構造の変革を同時に行なって行く必要があります。「ひとつの事業の成果がある程度出るまでには少なくとも10年かかる」と先輩たちから言われているので、焦らず長い目を持ちながら「ジェンダーと人権」について、自分なりのアプローチで少しでも課題を解決できるような事業とムーブメントをつくりたいと考えています。
コーヒーを飲みながらメールと新聞をチェック
部内会議。国際事業部メンバーの予定などを確認
稟議の処理と、本日実施予定の勉強会の準備
勉強会の発表者と共にランチ
勉強会を実施。自分はモデレーターを務める
勉強会参加者と今後の事業について打ち合わせた後、事務処理などを行い、事業開発の一環として論文を読む
エア枕
出張などの移動時には必須。寝る時だけでなく、くつろぎたい時にもエア枕があると肩から力が抜けて楽になります。
国際社会が抱える諸問題の解決を目的としているため、社会課題に対する問題意識を有することは絶対条件。さらに語学力のほか事業を行うために必要な学歴や実務経験、コミュニケーション能力があるとなお良い。
2001年、国際政治学科卒業、2003年3月、国際政治経済学研究科修了、2003年9月イギリスのエセックス大学人権センター留学。国際人権法を学び、人権の修士および法学博士号取得後、帰国。2010年外務省人権人道課の国際人権・人道法調査員に。2012年国際連合日本政府代表部の専門調査員になり、主に女性や子どもの権利保護を担当。2016年1月から現職。父の仕事の関係で渡米し、中・高とアメリカのケンタッキー州で過ごし、保守的な地域だったため人種差別を目の当たりにしたことで人権問題に目覚める。