角 潤一
CONTRIBUTE TO THE WORLD | 世界のために働く
外交官
外務省 外務省専門職員
角 潤一さん
外務省専門職員って?
世界的視野で国益を考え、日本の顔として国と国との良好な関係の構築に携わる外交の実働部隊。語学を習得し、地域の社会や文化、歴史などに精通、人脈を構築して、さまざまな情報を収集・分析。エキスパートとして外交政策の企画・立案・実施に貢献する。また政治、経済、経済協力、文化・広報、領事等、幅広い分野の専門家として活躍する。

ペルシャ語を習得し、文化・慣習も学ぶ

 外務省専門職員は、地域や専門分野のスペシャリストとして、東京の外務本省のみならず、世界中にある在外公館(大使館、総領事館、代表部)を舞台として実務に就きます。しかしあらかじめその言語や地域に精通していなければならないかといえば必ずしもそうではありません。めでたく一次の筆記試験に合格して二次の面接に臨む際、専門としたい言語を最大5つまで選択できるのですが、そこで私が第5希望に挙げたのがペルシャ語でした。それまでペルシャ語に触れたことはなく、何の気なしに書いた言語が、その後の私の人生を左右することになりました。もちろん、良い意味で。
 1年目は東京での勤務を続けながら語学研修を受けますが、2年目には国外へ研修に出発します。研修期間は専門とする語学により違いがありますが、2〜3年の間に、語学のみならず、その地域の文化や慣習、人々が何を大事にし、どういったことが彼らの琴線に触れるのかを肌で理解していきます。
 私の計2年半の研修の出発地は、ロンドンでした。在連合王国日本国大使館に籍を置きつつ、ロンドン大学アジア・アフリカ研究学院(SOAS)でイラン人の教授に師事し、中近東学の修士号を取得。亡命イラン人作家の家にホームステイしながらペルシャ語の習得に励みました。その後イランの首都テヘランに移り、研修の後半の約1年半、テヘラン大学付属のペルシャ語の語学学校に通いつつ、イラン人の家庭教師を複数人雇ってペルシャ語に磨きをかけました。

ペルシャ語とその地域のスペシャリストとして

 日本人には一般に馴染みが薄いイランや、紛争の続くイラク、アフガニスタンでの仕事は怖くないのか、つらくないのかとよく聞かれます。しかし、万全の備えをしてリスクを最小化し、やるべき仕事を行っているので、実際に危険を感じたことはほとんどありません。これらの国々は私にとってはいわば「ホームグラウンド」であり、ロンドンやその後に勤務したニューヨークにもひけおとらず、楽しく刺激的で、「世界の中心」にいる気持ちで仕事をし、生活してきました。
 ただし、もし一度ひとたび日本人を巻き込む事件が起きれば、その生命・財産を守ることは外交官の最も重要な仕事のひとつです。とりわけ私の印象に残り、かつこの職業を誇らしいと思うのは、人の生命にかかわる仕事であるということであり、そうであるからこそ、我々の同僚たちは、時に文字通り命がけでそれぞれの職務に当たっているということです。詳細は伏せますが、私自身、研鑽を積んだ語学や地域での経験、人脈をもとに、複数の方の人生に好影響を与えることに少しでも役に立てたと自負できることは、かけがえのない財産となっています。また、私が専門とするイランは、1979年の米国大使館人質事件以来、米国と断交している国で、米国から「情報が欲しい」と言われる数少ない国です。日本は、歴史的な背景や原油調達の必要性から伝統的な友好国としての関係を築いており、その中でイランを理解し、人間関係を構築して確かな情報を収集できる専門家として仕事ができることにやりがいを感じますし、外務省内で「イラン人」と呼ばれることをむしろ誇りに思っています。

角 潤一さん

日本の国を代表して世界で働こう

 アフガニスタンで経済協力の一環として学校や病院を建てたり、イラクで日本の文化を紹介するために日本映画祭を企画・実施したり、専門とする地域でさまざまな仕事を経験したほか、ニューヨークの国連日本政府代表部に勤務したこともあります。
 国連日本政府代表部で主に取り組んだのは、UN Womenというジェンダー平等や女性の経済的エンパワーメントを目指す、できたてほやほやの国連機関でした。これまでの「中東屋・紛争屋」のバックグラウンドから、なぜ私が?と周囲も私自身も不思議に思うような転身でしたが、それはそれ。この分野に飛び込んで最初に感じたのは、当時日本がこの問題にまだ本気で取り組んでいないなということでした。それは日本のUN Womenに対する予算の割り当ての少なさが如実に物語っていました。そこでUN Women執行理事会の副議長に立候補し、また女性の人権に関わる国連決議案の取りまとめ役などを買って出て、いやがおうでもこの分野に関する情報や専門家たちが私のもとに集まってくるように努めました。そして、毎日せっせと何かしらの情報やネタなどを外務本省へ送り続けました。もちろん直ぐに目に見える変化があったわけではありませんが、女性の権利向上に目が向けられるようになった時流も相まって、国連総会での安倍総理の演説の中で、持ち時間の大半を女性の人権に割いてもらうことができましたし、3年間で日本の拠出金を20倍以上にすることができました。離任して東京へ戻る際、元南アフリカ副大統領のUN Women事務局長が本部で盛大にパーティーを開いてくれたことは良い思い出です。国連などの国際公務員になりたいという人も大勢いると思いますが、私は母国日本の国益追求という命題を背景に、さまざまな地域で、多種多様な職務を体験できる外交官の仕事はもっといいよとオススメしたいです。

角 潤一さん

ある1日のスケジュール

※外務本省(東京)にいる場合

  • 8:40〜9:30

    通勤中にメール、SNSをチェック。

  • 9:30〜10:00

    登庁後、自席のPCメールの確認・対応、報道チェック。

  • 10:00〜12:30

    通勤中に英語の勉強、その日やることの確認、イベントや勉強会情報の確認、申し込み

  • 12:30〜13:30

    机上で愛妻弁当。
    (もしくは、省内外の人を誘って近場でランチ。)

  • 13:30〜15:00

    省外での会議に出席。

  • 15:00〜16:30

    省内での会議に出席。

  • 17:00〜21:00

    定時は18:15。何もないときにはできるだけ早く帰宅。ただし、国会対応が深夜に及ぶことも。

マストアイテム

スマホやiPad、手帳、名刺入れなど
FacebookやInstagramなどのSNSや名刺管理アプリを駆使しての情報発信やネットワーキング。仕事にかかわる、かかわらないを別として、つながりや縁を大事に、こまめに連絡をとっている。

この仕事に就くには...?

外務省総合職の場合は、他省庁と共通の国家公務員総合職試験を受ける必要があるが、専門職員の場合は、外務省独自の試験(外務省専門職員採用試験)を受けて採用される。自分が専門とする言語については、合格時に本人の希望や能力などを勘案の上、割り当てられる。語学の素養とコミュニケーション力、常に新しい知識を学び吸収する姿勢、柔軟性や忍耐力、そして健康で丈夫な身体が必要。

角 潤一さん

角 潤一さん
Junichi Sumi

外務省
外交官(外務省専門職員)
※2018年取材時

1997年3月国際経済学科卒業、1998年外務省入省。大学3年次に1年間休学してボストン(米国)及びブライトン(英国)で語学留学。在外研修中にロンドン大学アジア・アフリカ研究学院(SOAS)で中近東学の修士号を取得。イランでの勤務後、2004年に在アフガニスタン日本国大使館二等書記官、2006年中東アフリカ局中東第二課事務官(イラン班長)、2010年在イラク日本国大使館一等書記官(政務・総務・広報文化班長)、2012年国連日本政府代表部一等書記官として赴任。2015年に帰国後、本省の経済局勤務を経て、2017年5月以降、大臣官房総務課課長補佐。約20年間の外交官人生の中で、海外生活は約12年間。

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